修養を志す私たちにとって『感謝』という言葉は何度も耳にするものになっています。よく「感謝知らず」と言われますが、感謝を表すためには「ありがとう」という言葉が大切です。私たちは一人だけでは生きていけません。多くの方の助けがあってこそ生かさせていただけるのです。

東日本大震災当日、すぐさま会社から家族への安否確認をされた方のお話を聴かせていただきました。安否確認によってお互いに安心感が得られ、「ありがとう」の気持ちが湧いたことと思います。感謝することで「ありがとう」という言葉が自然に発せられ、気持ちが平穏になるのです。

怒ったり、イライラしたりしますと胃が痛くなることもあるでしょう。心と体はつながっているからです。平穏な気持ち、つまり『平常心』にさせていただくことが感謝なのではないでしょうか。

有り難いと思うことによって人は徳を積み、逆に不平不満の気持ちを持ったときに罪を作るとお教えいただいています。それが徳を積むことと罪を作ることの差なのです。だからこそ感謝できないことにも感謝するのです。

私は東日本大震災のテレビ番組を見ることができません。あまりにも悲惨だからです。

我が家には2歳の孫がいますが、娘は孫に地震の映像を見せたくないと言っています。地震に遭ったご夫婦が笑顔でインタビューにお答えられている場面をちらっと見ましたが、明るく笑顔であることは素晴らしいと思いました。笑顔は周りを明るくし、穏やかな気持ちにさせていただけます。これから東北の皆さんは復興に向けてご苦労がおありと思いますが、明るい気持ちで過ごすことでよい方向へ事が運んでいくのではないかと思います。

私は感謝の足りない人間だと思います。大震災によって電力が足りなくなり、不便な生活になります。現在電力に頼り切った生活をしています。私が子どもの頃は火鉢や練炭で暖を取っていました。より便利になることが当たり前になってしまうと、感謝を忘れてしまうのではないでしょうか。

不自由を常と思えば不足なしです。私たちはあまりにも便利な生活を送らせていただいています。大震災を機に日本人が便利さを謳歌した傲(おご)りに気付くべきなのではないでしょうか。一人ひとりが自粛することも必要かと思います。

10年ほど前、仕事をさせていただいていた頃のことです。

新宿駅からJR総武線に乗り換えました。車内は混み合っており、ドア近くに立っていた私は後ろから押され、弾き飛ばされて転びそうになりました。私は30歳代の身長170㎝程の男性に、「押すなよ」と言いました。彼は「押してません」と言いました。私は頭にきて、ホームで押し返したところ、自分の方がよろめいてしまいました。もし、相手の方が階段から落ちてしまったならば取り返しがつきません。満員電車では押し出されることもあるのです。冷静さを欠いていたと反省しました。

私はふと男性に「ありがとうございました」という言葉を発してしまいました。自分の間違いを気づかせていただいたからです。

当たり前と思っていたことが当たり前ではないと気づき、有り難いと思うことがたくさんあると思います。それは苦労、難題を経験することがきっかけとなることもあります。「感謝できないことにも感謝」につながるのではないでしょうか。

会社に勤務していた頃、私の意見に対して反論した社員がいました。社員の意見は正しかったのですが、『皆の前で恥をかかされた』という怒りの気持ちになったのです。強い口調で言われたこともあって落ち込んでしまいました。帰宅後、入浴し頭を洗うと髪の毛がごそっと抜けました。

私の考えは幼稚な提案だったため、言い返すことができなかったのです。2、3日後、冷静になると『彼の言うことが正論だ。努力が足りなかった。自分の足りなさを教えてもらえた』と思いました。本来同僚であり、決して気持ちが合うわけではなかったのですが感謝に変えさせていただきました。

修養は自分を掘り下げることです。自分の誤りに気づかせていただくのです。周りから強い口調で忠告されることもあるでしょう。そんなときには『教えていただいた』と思うと感謝になり、成長できるのです。

感謝は気持ちを平穏にさせていただけます。「ありがとう」の言葉は物事を好転させ、不平不満は悪循環を招きます。「ありがとう」という言葉を大切にし、日々を過ごしていきたいと思います。

(『報恩』平成23年6月号より)